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59章 朝と夕の挨拶




「I was made to visit a library. It is because my homework has not ended yet」
私の席から数えて五つ前の沙代が、つつがなく単語並べ替え問題の答えを言う。
流れるようにスラスラと紡がれていく発音を耳で感じながら私は窓の外を見ていた。
今日はなんだか静かだなぁ。いや、一ヶ月前もこんな風にけだるい感じではあったけど。
クラス中に満ちていた四月の陽気さもちゃんとした授業の間は、さすがに潜むから静かだった。
英語の秋山先生はきっちりしてるし生徒の扱いも手慣れてるから、誰もが授業中の私語を慎む。
中学生二年目ともなれば、去年一年間のことを踏まえてこの先生の前で初回の授業からして茶化したりはしなかった。
ああ、でもそうなんだよね。まだ私たちは中学生で二年生もまだ二ヶ月目なんだ。
まだ二ヶ月半くらいしか経ってない。なんか……なんだろう? ちょっと、この状態が落ち着かないような気がする。
足が、ぶらぶらと揺れて机の角の鉄パイプに触れる。そんなことにだけ、今日の私は気が回る。
「ええ、それが正解ですね。ではこの文の要約を、高原さん」
「私は図書館に行かされました。まだ自分の宿題が済んでいなかったからです」
すらすらと流れる美紀の言葉はすぐに耳から抜けていった。
長文問題の読解はもう、私は終えてて。特に難しいと思った場所もなかったし解答は全部埋まってる。
「よろしい。では、次を郡山さん」
「When,I met one parson. It is amazing to see him for me」
「そのとおり。この文の要約はどうなりますか、坂田さん」
「えーっと……そのとき、私はある人物に会いました。それは彼を見かけることが私にとって驚くべきことだったからです」
「良い訳だけど、時制には注意してね。it isだから、現在形になります。驚くことです、でよろしい。」
だから注意力なんてなかった。ぼーっと、窓の外に映る光景を見てた。遠くに、わずかだけど海も見えるけど。
たくさんビルを見るのなんて、いつもの事なのに。何故か気になる、のかな。
うーん、いやそんなことはないんだけど。でもじゃあどうして私ビルの事をじっと見て目を離さないんだろ。
あ。キュラとかレイとか今頃何やってるんだろ。靖のお母さんが何か家事を手伝わせてたりするのかな。
「では、ここの文章で問いの三番が出ています。杉森さん」
「二番です」
「正解。ここでは、いつ出かけたのではなくどこへ出かけたのかが問いになっているから場所を選んだ答えを選びましょう」
なんだろうなあ、私たちは学校に来てるのに家にはキュラやレイがいるなんて不思議な気分。
二人とも上手くやってるかなあ。キュラはともかく、レイが問題起こしてないか心配ー。
靖の家族ともだけど、キュラとも衝突しないか不安。うーん、でも話しかけない触らないでいるうちは無害かなあ?
「問いの五番を、立野さん。……立野さん? 問いの5番、出来てないの?」 
「へ? え、あ……」
あれ? もうあたる順番だったっけ、私。問いの五……答えを選択する奴。
顔をあげて短く私は答えた。先生は少し不思議そうな顔をして私を見ていた。
「三番です」
「はい、よろしい。何故答えが三番になるかというと、一番は文の最後に時制のyesterday、昨日が入っていて……」
これで今日の英語の授業であたることはない、よね。またゆっくりと私は窓の外へと顔が向いた。
窓の外、遠くには交通道路。交通道路から少し遠くにはたくさんのお店。
今は昼時。たくさん人が行きかう街が喧騒に賑わってても、そんなの学校とは関係なくて。
普通に歩いてて誰と衝突するわけでもないし、天井は結構近いし。店は一階でも家の二階くらいの高さなのに。
いまさら中学校の何処に何があるかわからないなんて事もないし。一年も過ごしてたんだもん、知らない場所なんてない。
なんだかすごく平和な場所だなあ……学校って。うん。これが普通で、よくあることなんだけど。……けど。
『キーンコーンカーンコーン……』
あ、三時間目終了の合図。やっと、授業が終わりになったなー。私は椅子に座ったまま、少し伸びをした。
「せんせー、チャイム鳴ったー!」
「では、今日はここまで。教科書二十三ページの予習と白プリントを次回までにやって来ること」
「きりーつ、気をつけーっ! 礼」
ありがとうございましたと、言って頭を軽く下げて。先生がつま先を扉の方へ向けたところで私は席に着いた。
なんだろう。私も皆もゆっくりとしてる。焦りがない。まだ五月の中旬くらいだから? テストも無いし。
皆、授業が終わって話をしたり、廊下に出たり、机の上にうつぶせになってたりしてる。
どうしても拭えない、違和感に私はただ首を傾げるだけだった。……変なのー。



昼休み、いつもと同じように美紀と沙代と一緒に教室でお弁当を食べた。うん、一年の時と変わらずに。
ご飯を食べた後は校庭で遊ぶ気も起きなくて、廊下をふらついてたらばったり鈴実と顔を合わせた。
「どうかしたの、清海」
「え? 何が?」
私そんなこと言われるくらい、変な顔してたのかな。
鈴実がじっと私の顔を覘きこんで心配をする声で続けた。
「ぼーっとしてるように見えるわ。まさか、またゲームで夜更かしをしてたんじゃ」
顔にでるくらいぼーっとしてるの、私? 自分ではそんなつもり全然なかったんだけど。
えーっと、ゲームは……昨日、晩ご飯の前までしかしてないよ?
なんだかすぐに眠たくなって七時にはもう布団に入っちゃってたから。
「ううん、ゲームは夜遅くまでしてないよ。昨日は晩ご飯食べてから、すぐ寝たもん」
「そう。授業受けていて気だるいんなら保健室行きなさいよ」
「うん、そうだね。心配してくれてありがとう」
私がそう言うと鈴実はじゃあねって言って私の横を通り過ぎた。
鈴実が階段を上っていって姿が見えなくなってから私は足を保健室へと向けた。
まだ昼休みだし、ちょっとベットで横になれば大丈夫かな。
もしかしたら昨日までの疲れが一気に出ちゃったのかもしれない。
だってさ、思いだしてもみたら私は昨日までこことは別の世界で大冒険してたんだよ?
昨日の朝は砂漠を移動中で、昼は山登りでしょ。それで夕方にこっちに戻ってきた。
砂漠超えしたり山上ったり魔物と遭遇したりって学校にいたら普通は経験しないことしたから。
慣れないことの連続だった。睡眠はその間も、とってたけど。ちゃんとは休めてなかったのかな。
それでも普通なら砂漠を高速で夜中に移動したりとか出来ないし。
魔物に足場を崩されて、私には太刀打ち出来ないってあきらめた時に助けが現れてくれたりとか。
結構な幸運尽くしで、本当ならもっと苦労したかもしれないことがするっと上手くいったんだけど。
でも、それだけのことも身体は辛かったのかな。自分の家に戻ってきて、授業を受けて。
何もおかしくはないはずなのにその流れが緩やかだから、緊張だって全然しなくて。
昨日までは無意識に神経を尖らせてたんだね、きっと。だから変な感じがしたのかも。
ぼーっとしてたって良いから。緊張したって、それはただの徒労にすぎないんだから。
ここでは何も気をつけなくたって、大丈夫なんだよね。
急に足場が崩れたり人間以外の生き物と戦う状況には陥らない。
力を入れすぎなくて良いことに疑いを持ってたなんて、おかしかったなあ、私。
もしかして、その当然の状態でも緊張を保たなくて良いことに心のどこかで違和感、覚えてたのかな。
そんな必要ないのに。学校の中なら尚更、そうだよ。

そう思い至る頃には、もう私は保健室前にまで来ていた。無意識に歩いてたら、その間に着いたみたい
うん、ぼーっとしとこう。今日はそうして休もう。今はただ、時差ボケみたいな不調が抜けきらないだけだよ。
ここは私のよく知った人がいて、見知った場所なんだから。そうしていられるだけの安心が保障されてるよ。
右手をすっと扉の前に伸ばして、私は小さく振って叩いた。
「失礼しまーす」
扉をあけながら保健室の中をのぞけば保健の相山先生がいる。
私の姿を認めた先生は私のほうへ寄ってきて、私を中に招きいれてくれた。
昼休みはいつもベットが空いてるのに今日は二つも埋まってる。空きが一つしかない。
「あら、また珍しい。どうしたの、立野さん」
「ちょっと頭がぼーっとしてて。少し休ませてください」
先生は、私のお願いを拒むこともせずにベットで休ませてくれた。


「今日は三人も体調不良なんてね……しかも元気な子ばかり。どうかしたのかしら」
今日の保健室利用者の数、述べ三名。立野清海、彦馬靖、レリ・スー=キャラル。
いずれも以前に三ヶ月もの間、不登校という名目で行方不明だった子供たちである。
保護者に連絡の必要があるだろうかと、ほんの少しこの偶然に首を捻る保健の先生だった。


『キーンコーンカーンコーン……』
午睡の終わりをチャイムが告げた。あんまり寝れなかった、ううん。横になっただけだったんだけど。
まあそうだよね。保健室につく頃にはお昼休み半分くらい過ぎてた頃合いだし。
頭のぼーっとする感じはとれなかったし。あー、もしかしたら逆に悪化したのかも知れない。
寝起きだからか寝ることに意味がなかったのかわからないけど目の前の光景がぼんやりと霞んでみえる。
これ以上寝ててもしょうがないかな。私はベットから降りて、前を覆っていたカーテンを開いた。
「もう昼休み終わっちゃったなぁ……」
「そーだ……ふぁぁぁ……眠ぃ」
「あーあ、次の授業って英語だからつまんないなぁ」
私の呟きに二つ別の聞き慣れた声が被さった。ん? 私は右二つのベットに視線を移した。
「……あれ?」
「あ、清海。靖もそこで何してるの?」
「お前らこそどうしたんだ? 普段、保健室には寄りつかないだろ?」
私の右隣にはカーテンを掴んだままのレリがいた。
その先には靖。片手を口許にかざして欠伸をしてる姿が見えた。
いつも休み時間になると校庭でクラスの数人と遊んでるはずのレリが保健室にいるなんて。
そういえば、校庭で姿をみかけなかった。もしかしたら、教室に帰ってたのかと思ってたけど。
靖も掃除の担当でもなきゃ保健室には寄りつかないのに。
そもそも剣道部所属の割には足も速い方で、運動神経が鈍くもないから怪我もしないしなあ。
健康優良なんだよね、二人とも。私も保健室にあんまり顔を出すことはない。靖とレリ程じゃないけど。
校庭でなら、そう珍しいって程でもない顔揃いだけど……気兼ねなく昼休みが過ごせる時は、私も外に出るし。
夏だけは、さすがに暑くて図書館に逃げたり動く気力がない時は教室の机に伏せる事はあるけど。
初夏くらいの季節に図書館に涼みに行ってばったり遇うならともかく。ここ、保健室で。
「三人とも、もう大丈夫? それと、急がないと授業に遅刻するわよ」
あっ、そうだった。さっきのって予鈴だもん、授業開始まで五分切ってる!
私たち三人はありがとうございましたーと言って保健室を後にした。遅刻はやばいよ。
二年になってからのクラス替えで靖は私と違うクラスに、レリは一年の時と同じく鈴実と一緒。
校舎を三階まで駆け足でのぼって長い廊下に出てから先はそれぞれ別のクラス。
まだ生徒の流れはある。うん、ここまで来れば授業に遅れる心配なし!
「んじゃな、今日はしっかり休めよ」
「うん。そっちもね」
「家に帰ったら私たちがすることは同じだろうねー、きっと」
私たちは軽い挨拶だけしてクラスに戻っていった。それ以外には話をすることもなく。
意外と私も靖もレリも、異世界での旅が溜まってたみたい。いちいち保健室にいる理由を訊くまでもないね。
でも、疲れはちゃんと取らなきゃ。行動パターンは若干違うかもしれないけど、ベットに直行することでは同じ。
お母さんが呆れて叩き起こしに来るまで布団の中で眠りにつこう。うん、お腹が多少はすいてても。
家についたら習慣になってる言葉を言って、返される言葉に頷いて。ごろんと部屋のベットに横になる。
そういうのが多分、今のぼーっとする頭をすっきりさせる事に繋がるんだ。



例えば。いってらっしゃいと、ただいま。
外出と帰宅の言葉、無事でという意味を込めた言葉とその応答。
そういえば、朝の出会いがしらの言葉とその日の最後にあるべき言葉も。
例えば。おはようと、おやすみ。
ここ数日の中で数人との間でしか交わされていなかったっけ。
そしてこの一週間の半分くらいはその親しい皆とも離れ離れで、寂しくて。
単に気候や寒暖の違いとか不調の原因はそんなのじゃない。
異世界との温度差にまどろんで、戸惑っていたのが体調に出ていたのかな。
でもきっと。人との関わりで生じたものは人との関わりでどうにかなるんだよね。
明日にはもう、忙しいけど平和な日々に追われて違和感なんて消えているよ。





NEXT

清海たちにとってはクールダウンのターン。 特に分断されることの多かった清海にとっては、その意味合いが強く。 「何気なく会話のできる相手」が知らない土地でいるか、いないか。 それだけのことが大きい。そして、現地で自力で会話した人のことは強く記憶に残る。 奮闘してる最中は意識しないしそんな余裕もなく、ある種のハイテンションを維持していたけれど。 家に戻ってきたことで、プスンとテンションが途切れ戸惑う。警戒しても何も起こらぬことに